2011年9月22日木曜日

北斎龍になるまで −2−

☆長身痩躯で豊かな黒髪の持ち主だった増永静人氏

1970年の或る日、医王会指圧センターを訪れて増永氏の治療施術を受けました。当時は所長が初回患者の全身指圧をするのが建前でした。腹診・伸展法・関節矯正法を取り混ぜた同氏の施術は「当代日本一!」と感じさせるものでした。いえいえ、名実共に世界一! だったのです。

当時の私は胃腸の具合が悪くて、JR四谷駅に近い大塚敬節漢方診療所で処方された漢方薬を煎じ、苦い薬を服用していました。敬節氏は私の腹部に手を当て「お腹が冷たいので、暖める漢方薬を処方しましょう」と言われ、私を驚かせました。西洋医学の医師からは聞かれなかった言葉でした。

右母指が偉大に発達した指圧師浪越徳次郎氏の按腹を受けた時「お腹が固いので、柔らかくすると良いでしょう」と言われました。東洋医学と西洋医学の違いは、日本人なのにビックリするほど強烈でした。

その当時、私の右回盲部にピンポン大のシコリがあって「悪性腫瘍ではないか」と悩んでいました。増永氏に伺いますと「小腸と大腸(上行結腸へ行く)の繋目はガスが溜り易い場所で、単なるガスです。」と答えられました。私は大いに納得し、感ずるところがありました。

氏の施術手技は、例えていうと極上な御料理のようでした。甘過ぎず辛過ぎず、全て程よく、ただ美味しいという食感だけが残る、いわば後味の良い御馳走のようでした。それに、過去症、現在症を把握した上で未来症を窺う、という高度な展望を踏また驚異的な施術でした。ただ一介の患者に過ぎなかった私には衝撃的な経験で、其のご繁々と医王会に通うことになったのです。
                     
                       ー続きますー 











2011年9月21日水曜日

北斎龍になるまで --1−

私は東京の川向う「北斎通り」近く(江戸時代には東六軒堀と云ったらしい界隈)で生まれ、新興住宅地であった中野区上高田で育ちました。
チビで神経質で痩せっぽっち。正義感と負けん気が強い少女でした。花と昆虫が遊び友達でした。家中の本を全て読み尽くし、最後に残った古い英語の教科書でthe alphabet  とローマ字を独習しました。これを見ていたらしい亡父が「娘の将来には英語会話力が必要になる」と乏しい家計の中から私を英語会話学校へ通わすことを決心したようです。

こんな事は、どうでも好いこと。要するに私は遠回りこそしましたが、一生を賭けても悔いがない経絡指圧と自彊術に巡り会う運命にありました。

経絡指圧の師匠は経絡指圧創始者である増永静人氏、そして自彊術師匠は久家恒衛自彊術大師範です。






2011年9月20日火曜日

ヨチヨチ歩き状態です

未だ何も分かっていません。
早く体得しなければ。
書きたいことが詰まっています。便秘は避けたいので、少々焦り気味です。

2011年9月19日月曜日